Twitterが人を幸せにしないのなら、車も人を幸せにしない

なぜTwitterが使われなくなるかといえば、それは人を幸せにしないからだ。人を幸せにしないサービスが長続きするはずがない。
なぜ人を幸せにしないかというと、ユーザーの隠していた本音というものを、ついポロリと露呈させてしまうからだ(中島みゆきの『悪女』のようなものである)。あるいは、書いている本人を感情的にさせる。そうして、ユーザー自身はもちろん、他者(あるいは社会そのもの)にも迷惑をかける。社会に迷惑をかけるものが、それ以上の存続を許されるはずがない。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313119770

「つまり、自動車はその利便性の裏で、多くの人間の犠牲を必要としたのだよ。
    

 ・・・・・・しかし、それでも自動車は無くならなかった。
 それどころか、その数はさらに増え続けた。
(中略)
「つまりだ、内藤君。 
 人間は、自分の便利で快適な生活のためなら、
 どんなに犠牲が増えようが悲しみを生もうが、そのシステムを存続させ続けるのだよ。


 醜くて、利己的で、愚かで・・・・・・
 ・・・・・・・人間とは、そんな生き物なのだよ。」

第49話( ^ω^)古代の涙 だお!

確かにTwitterには、問題があるのかもしれません。必ずしもwebで人が幸せになるとは、限らないでしょう。


しかしながら現状多くの人が利用しているシステムが存在するということは、そのシステムが必要とされているということではないでしょうか。少なくとも何らかのメリットがなければ、id:aurelianoさんが主張するようにそのシステムはおのずと瓦解するはずです。


車を使った現状の社会システムが存在するのは、そのメリットが存在するからです。もちろん問題点は改善される必要はあるでしょうが、数年単位のスパンで見たときに、まったく車を使わない新しいシステムへと一から作り直されるとは考えにくいと思います。Twitterにもまた、似たようなことが言えると思うのですね。


自分の感情を吐露することが社会的に正しい行為かどうかには賛否両論あるでしょうが、webを介して人と人との距離が近づくことには私は基本反対するつもりはありません。コミニュケーションとは元来そういうものだからです。少なくとも私の知る限りでは、100%人に迷惑をかけないコミニュケーション、あるいはシステムは存在しません。


一つのデメリットがあるというだけの理由で、そのシステムを崩壊させるのは少しもったいない。旧システムに未だ価値が存在するかどうかを確認し、新システムに旧システムを上回るだけの価値が存在することを確認した上で始めて、新システムは構築されるべきです。また、旧システムに戻すのであれば、新システムのデメリットとメリットを今一度慎重に確認する必要があるのではないでしょうか。